高齢やがんの方など、だんだん食事が取れなくなってくるとご家族はみなさん心配します。食べないと死んじゃうは人間の本能なんでしょうか。確かにご心配の気持ちはよくわかります。
ある患者さんはいつもの1/3も食事が食べられなくなった時、お子さん方は心配して「食べろ食べろ」と勧めていました。その患者さんは私たち看護師に「拷問よ」とよくはなしていました。ご家族は、一生懸命これだったら食べてくれるかもと取り寄せたり、遠方まで買い物にいったり、調理に時間をかけたり。そこまでしても、残されてしまうと「せっかくつくったのに・・・」とがっかりします。それがご本人とご家族のストレスのもとに。でも食べてほしい気持ちはわかります。
あるときその患者さんは処置で捨てるごみ袋の中に「これも捨てて」と残した食事をティッシュにくるんでわたされました。その度にわるいな~と思いながら「内緒ね。共犯だね。」といいながら捨てさせてもらってました。
私自身、13年一緒に暮らした猫が最後、食べられなくなったとき動物病院の先生に「点滴してください」といった経験があります。なんだか枯れていくようでなにもしないという選択ができなかったのです。しかも病院で預かってもらったので、そのままさよならの可能性もあると先生から説明がありました。それでももしかして点滴したらもう一度ごはんたべられるんじゃないかと、一縷の望みを持っていたのです。もし点滴で苦しそうだったりしたらやめようと。結局、自宅に連れて帰ることができその数時間後に安らかに眠りました。
そのことがあってから、最期ご家族が点滴してほしいと希望すればやってみよう、くるしそうだったらやめようでいい気がしてきたのです。「なにもしない」と決めていても、つらくないことならご家族の気持ちのためにもやってもみてもいいことがあることを愛猫が教えてくれました。