「おけえちゃ~ん」と呼ぶ声が聞こえる

小野寺さんOさんは、自由奔放という言葉がぴったりな生き方をしてきた方。麻薬で痛みのコントロールをしながらも、毎日近くの居酒屋に通いお酒で水分・栄養補給をしていました。ホッピーが好きだったな。寂しがりやなところもあり、娘さんが帰りが遅いときには、何度か一緒に行きつけの「とりかつ」で一杯やってました。自分の父と年も近いのですが、父親というよりなんとなくOさんはほおっておけないタイプの方でした。昼間は娘さんがフルタイムの仕事をしていたので一人で過ごす時間が長く、訪問した時間はいろんな話しました。足のアロママッサージがお気に入りでとっても気持ちよさそうでした。

あるとき、痛みが強くなり食事・お酒が全く取れなくなり迷いに迷って入院しました。娘さんはお父さんが具合が悪くなった時には入院してほしいと最初から言ってました。私は、Oさんが入院はしないよという中、「恨まないでね」と言いながら救急車に乗ってもらいました。

入院してからはもうこのまま帰れないとみんなが思っていましたが、病院の皆さんのおかげもあり、ポンプでいっていた痛み止めもとれ自宅にもう一度帰れそうでした。娘さんも、職場にお願いして1か月お休みして自宅に連れて帰ることを決意しました。入院している間は、何度も携帯から私に℡をかけてきて、足のマッサージを希望され、私も時間を見てはマッサージをしに行ってました。まあ、脱走癖もありその他いろいろここには書けないこともあり、病院では問題児のOさんの監視のためでもありました。私が「悪いことしちゃだめよ」というと私の頭をげんこつでコチンとたたくふりをするお茶目な一面もありました。

 退院してから約2週間でOさんは娘さんが寝ている間に静かに息を引き取りました。娘さんはまさか自分が父を自宅で看取るなんて考えもしてませんでした。でも、Oさんの大好きなお酒を飲ませてあげたり、氷を含ませてあげたりしてOさんが望むような最期を過ごさせてあげることができました。本当によくやったと思います。後からあの時は必死だったときいて、どれだけ私が娘さんの支えになれたかなあと思いました。

そして、お見送りの時の喪主のあいさつで娘さんが、「父が窓の外へ向かって、おけいちゃ~んと呼んでいる姿は小さい子供のようでした。」という話を聴き、そんなに私のことを待っていてくれたのだと知りました。

今でも自宅のベランダに出るとOさんちの方から「おけいちゃ~ん」と呼ぶ声が聞こえる気がします。今は天国でホッピーでも飲んで仲間と楽しくやってるでしょうね。待っていた奥さんとも。

(写真・ブログへの記事掲載は娘さんから快く承諾をいただきました)